松本里山辺 古代からの歴史散策
松本市里山辺地区には、県指定遺跡「針塚古墳」をはじめ市指定等文化財「八坂神社本殿」5月のお船祭りで有名な「須々岐水神社」が点在します。
2018年5月6月各所を散策してみました。
歴史的なことは詳しくありませんので、各場所のご由来や説明文、「松本のたから」を参考にさせて頂きました。
長野県指定遺跡「針塚古墳」
松本市里山辺地区は、現在畑や田んぼが広がるのどかな風景の中、針塚古墳が残ることから太古の時代にすでに人々の生活が始まっていました。
針塚古墳の所在する里山辺地区は、美ヶ原山塊から流れ出る薄川(すすきがわ)が形成した扇状地です。針塚古墳は、扇央部の河岸段丘上に位置し、周囲を水田とぶどう園に囲まれています。近年の農業基盤整備事業でこの河岸段丘も姿を消しましたが、かっては段丘上に同様な古墳が数基ありました。現在はこの針塚古墳が残るのみです。
針塚古墳は以前から積石塚古墳として知られていました。積石塚古墳とは土のかわりに石をもって封じ、墳丘を造った古墳で、高句麗(こうくり 朝鮮半島北部の古代国家)に多い墓制であることから渡来人との関係を指摘する声もあります。
平成元年度から発掘調査された針塚古墳はとても貴重な古墳であることから、現地へ保存してほしいとの声が地元から市民から上がり現在地に大切に保存されています。
取材日当日、ご近所の方と思われる男性が針塚古墳周辺のお手入れをされ、草花に水をやっていました。
八坂神社
針塚古墳から少し西南に移動すると鬱蒼とした木々に囲まれた「八坂神社」があります。
こちらのご本殿は、茅葺屋根で作られ松本市指定等文化財になっています。
ぐるりと回ってみると、屋根に像の飾り、そして赤い鬼のお面がつけられています。
松本平でも数少ない貴重な萱葺きの本殿 桁行1,657mm、梁間2,686mmの木造建物で、砂岩系の自然石切石積の基壇上に土台を入れ、浜縁付き三間社流造の萱葺きで柱は丸柱、軒は二手先重垂木、向拝は大面取角柱、水引虹梁二間重垂木で造られています。
旧町村地区を除いた松本市内の神社で、萱葺き屋根の本殿を保持しているのは、里山辺小松の八坂神社と入山辺南方の諏訪社の2件のみで、八坂神社は三間社で規模も大きく、平成15年には萱屋根の葺替えを行っています。工事の際に発見された棟札から建立年も明らかであり、この地方の神社建築史上貴重なものです。
社伝では、天文18年(1549)、領主・小笠原長時の代に、神社創建について調べがありましたが、そのときすでに勧請年月等は明らかでなかったとされます。平成15年度の屋根葺替工事の際に発見された棟札等の墨書から、山家小路の大工多右衛門を棟梁として、延享元年(1744)に棟上げが行われ、同2年に完成したことが判明しています。また、神社に伝わる他の棟札から、文化13年(1816)、文政9年(1826)、明治6年(1873)、同32年、昭和34年(1959)、同48年に葺替えや屋根の修理が行われていることがわかります。 出典(松本のたから」
境内の中を歩いてみると
緑豊かな森の中にいるような神聖な空気に満ちた場所です。
「修羅」と書かれた神様が祀られていました。
近くの保育園の子どもたちもお散歩に来ていました。
須々岐水神社(すすきがわじんじゃ)
針塚古墳から少し北東へ移動します。
古来より須々岐水神と称され、この地の開拓の祖神として、薄川(すすきがわ)の神を祀り、山家(山辺)郷民の信仰を得て現在に及んでいる。明確に確認されているのは867年には現在の神社が記述されている。以来山辺地域のみならず、松本の民の生活水、農業用水として貴重な役割を果たしてきた薄川の水霊としても、人々の生活を守ってきた。
うっそうと茂る巨木の杉林にその歴史を感じることが出来きます。
須々岐水神社は5月4.5日おこなわれる「お船祭り」がとても有名です。
簡単な紹介で申し訳ありません。
お時間のある時に、この周辺を回ってみるのはいかがでしょうか。
2つのお社は、針塚古墳を挟んでほぼ南と東に位置しています。
公共交通を使う場合は、アルピコバス美ヶ原温泉線「惣社」までバスに乗っていくと頑張れば歩けるかもしれませんが、結構遠いと思いますので、体力と気候をご考慮ください。また体力に自信のある方は、すいすいタウン(無料貸し自転車)で散策されるのもよいと思います。
詳しい地図は、ページの右側にスポットが3か所出ていますので
クリックしてご覧いただくと地図も出てきます。